サンガについて

初めにサンガについて整理したいと思います。

サンガとはサンスクリット語で教えを求めるグループという意味です。「教えを中心として和合を生命とする団体」のことを言います。

社会とは、そこにまことの智慧が輝いて、互いに知り合い信じあって、和合する団体で、和合こそ真の意味です。
権力や財力を持った指導者を中心にした団体でなく、また、ただ都合よく争わなくてもよい間だけ続いている団体でもなく、教えを中心として和合を生命とする団体である。

お釈迦様への弟子の質問「善き友を得ることは修行の稔ってゆく中半くらいの価値があるのでしょうか」と尋ねると、
釈尊曰く「いや。善き友を得ることは修行のすべてである」と答えます。

「和をもって貴しとなす」はただ仲良くするというのでなく、因と縁との出会い、めぐりあいと出会いの現実を大切にしていくということです。

四無量心とは慈悲喜捨のこと。無量とは「誰にも」ということです。

の原語はサンスクリット語でマイトラといい、親友という意味です。
親友(しんぬ)・善友ともいいます。
・親しい友という意味だけではありません。
・単なる仲良しではなく、法にのっとっているかどうかをお互いに確認する仲間
相手の行為を通し、相手の欠点を指摘するのではなく、法で捉え、自分に落とし、法の道を追求し、示し、法へ導く。
・人生観、世界観をお互いに注意しあっていく、それがサンガです。
・同じ道を行く修行の仲間、同行者、同期生。

の原語はカルナーです。悲しいというのではなく、うめきとか嘆きという意味があります。
高いところから見るのではなく、一緒の立場で、苦しいだろうなあーとの思いやりの気持ちです。
自分が苦しんでみて初めて他人の苦しみがわかると言うものです。
そうしたいたわり方が、私たちを救っていきます。理屈をつけて慰めるのではありません。

とは
喜びを与えるだけでなく、他人が喜んでいるのを見て一緒に喜ぶこと。これが難しい。
人が成功したり立身出世したりすると口ではよかったというけれども、正直、うまいことやったなという嫉みのような気持ちがあります。

は少しわかりにくいですが、
憎しみとか愛とかに対して執着心がないことです。
憎んだら憎んだ後にいろいろな感情が湧き出てくるものですが、それを押さえることです。

古い中国の言葉に「怨を受けてはすべからず水に流すべし。恩を感じては必ず石に刻むべし」があります。

無明ということ
正しい智慧のない状態を言う。
迷いの根本である無知を指す。
その心理作用が愚痴であるという。

根源的な、煩悩を煩悩たらしめる原動力のようなものと捉えられている。
十二因縁の最初に無明があると設定している。
生存の欲望の盲目的な意志と捉えられる。

明らかでないと言うこと。無常や無我の道理に目をつぶって自分中心に考えてしまうのです。

「すべてのものは移り変わっていくということを無視し、すべてのものはそれだけで存在しないということもあえて黙殺しようとするところに迷いの根源があり、それが無明です。」

*無明によって出てきた様々な現象があるが、その中に何かを学んでゆこうという姿勢です。
*どんなに悲しく苦しいことでも、それを軽視したり逃げたりしないで、そのまま受け入れて、そのまま悟りの道にかなうようにすることです。
*どんなことがあってもそのまま受入れ、そのまま私たちの心を豊かにしてゆく道にしていこうということです。

WCRPの提唱者 庭野日敬開祖
歴史的に見て、宗教戦争の名の下為政者は領土拡張と他民族支配の一つの道具として宗教を利用し、布教活動を許可してきました。
純粋に信仰者として生きるものは、自分の信じる宗教を布教することに命をかけてきました。
宗教を信じるものを互いに奪い合うことや他の信仰を邪教とののしり、軽蔑し、自分の信仰を押し付けさえしてきました。
世界は民族の誇りのために殺し合い奪い合い征服する歴史を繰り返してきたとも言えます。

世界史上考えてもみなかった提唱が一人の信仰者によりなされました。
世界の宗教者が一同に会し、平和のために、互いに交流を始めようと宗教者による平和会議を提唱されました。

仏教もキリスト教もイスラム教も目指す真の目的は、人々の幸のために在るということで一致しています。

世界の平和のために、互いの違いを乗り越え、互いを尊重し、敬い、祈りあい、信仰に目覚めていない無明からの救いを実現していくことにあります。

大切なそれぞれの人が信じる信仰であるが、信仰に目覚めない人が増えつつある世の中にあって、どんな宗教でも信仰で救われてほし いと願うからです。

宗教協力の実現のための「世界宗教者平和会議の開催」は、1度だけだろうと言われ、開かれるだけでも奇跡と言われました。
しかし、世界の宗教者の心を打ち、世界大会はその後継続されています。

宗教界にとって大きな流れとなってきた。宗教者自身が目覚めたといっても過言ではありません。
そして提唱から40数年経って、今開祖さまは、世界中から師と仰がれる存在となっています。

開祖をいただく立正佼成会は有名ではないが、日敬師は宗教界で知らないものはいません。
異教徒として世界史上初めて教皇会議に招待され、ローマ教皇との二仏同座は宗教史上で歴史的な意味は大きいのです。

その理念は、世界の宗教者と共に平和の実現のために
・対話し理解を深める
・相互に尊敬の念を持って祈リ合う
・相手迎え入れるだけでなく、積極的に訪問し寄り添う

カテゴリー: 信念・信条 パーマリンク
ご意見・ご感想をお寄せください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>

コメントリンクを nofollow free に設定することも出来ます。